宇喜多直家公の墓
「宇喜多直家公のお墓はどこにありますか?」というお問い合わせが多々あります。
先代住職夫妻から、「戦前、光珍寺に桃山時代の五輪塔があり、昭和初期、当時の住職が認めれば直家公のお墓として指定するという話があったのを、確証がないので断った」という話を聞きましたが、この石塔は戦災後、隣の岡山寺へ移されました(先代住職夫妻、檀信徒、故・藤本賢一岡山寺御住職の話。宇喜多氏顕彰碑会発行「岡山開府四百年記念 開祖宇喜多氏顕彰碑記念帖 藤原憲市・三戸岡行雄共撮 庭田尚三遍」にも記載あり)。
しかし、大正三年編纂の「岡山磨屋町誌」、昭和七年編纂の「宇喜多直家墳墓考」、昭和十一年編纂の「岡山市史」にはこの五輪塔について記載がありません。
直家公のお墓については諸説がありますが、いずれも確証はなく、わからないというのが真相のようです。(位牌は光珍寺にあります)